NHK大河「葵三代」の関ヶ原~黒田長政の出番~
(余談)日本代表GK川口能活さん
磐田を退団し、移籍先を検討、と報じられました(2013年12月11日)。
彼は、高校時代からスター選手で注目されていましたが、
私としては、アジアカップのヨルダン戦でのスーパーセーブが鮮烈に覚えていますね。
試合中に中国人のサポーターがヨルダンを応援しはじめて、うるさいのなんのって。
同点でPK戦にもつれ込み。やじが飛ぶ中で、日本は二人が外し、絶体絶命。
そこから、なんと、キャプテン宮本がゴールのサイドが替えるように、レフェリーに進言し、容れられて仕切り直し。
そこから、川口がスーパーセーブを2回、敵のミスも1回誘い、
勝っちゃったんです、なんと。もう神がかりでしたね。
ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
私はあの時の感動は今でも忘れていません。
(本題)では、本題(笑)
黒田長政は、父官兵衛から家康方につくように、吉川広家や小早川秀秋を引き込んで毛利方の動きを封じつつ、豊臣恩顧の大名たちの動向に注意し、福島正則を抱き込んで、彼らを家康方につけることに成功したことは、有名な話しです。
ただ、三成が頑張り、何とか互角の勝負ができるように、いろいろな大名を味方に引き入れます。
大企業豊臣商事の課長クラスの三成が、よくもまあ、あんだけ人を集めてきたなあ、と司馬遼太郎氏も、関ヶ原のドラマにインタビューで答えておられます。
そのため、家康は黒田長政を使って、豊臣恩顧の大名が寝返らないように、画策するわけです。
結果として、毛利勢(毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊の南宮山、小早川秀秋の松尾山)の離反を誘い、徳川勢は秀忠の本隊の遅参の失策を補います。
もし、(は禁物ですが)毛利勢、長宗我部勢が、抑えだった池田輝政隊、山内一豊隊らに襲いかかったら、おそらく支えきれずに後退し、そこに寺沢隊、家康の旗本から兵を割かざるを得なかったでしょう。
小早川秀秋の寝返りがあるまでは、西軍が優勢だったと言われており、家康の脅しによって小早川秀秋が果たして寝返ったかどうか、微妙です。
戦う前から調略によって、有利にことを進めていた家康。
吉川広家は毛利勢を釘付けにして、勝利に貢献したのは間違いないですが、
毛利輝元の書状が見つかって、西軍に積極的に加担したことが発覚し、
毛利本家の領土が没収されそうになります。しかし、吉川広家の周旋により、
自らが宛てがわれる予定だった防長を、毛利本家に残すことを許されました。
輝元の書状を見せて、吉川広家を詰問する、福島正則、黒田長政らが、旧毛利領や小早川領に入封するのが象徴的(小早川秀秋は領地を没収されたのではなく岡山に加増転封ですが)でした。
吉川広家にしても、家康について毛利の安泰を図ろうとしたという見通しは正しかったですが、
毛利輝元の日和見が災いしたか、大幅な減封となります。
書状が証拠になって詰問されたわけです。
やはり内通するにしても書状などの証拠を残しておかないと、口約束だけで寝返りを約束して、所領を減らされたり没収されたりした大名もいます。
もしかしたら、毛利グループからは、リスクヘッジのため輝元は大坂城で日和見、秀元、安国寺は西軍、広家は東軍、小早川秀秋は微妙(東軍の調略を受けたと見せかけて、有利な方につこうとしたか)、でどちらか一方につくと、滅亡のリスクがあったので、両方に脚を突っ込んでいたのでしょうか?
そういう大名は他に多かった。家族で東西に分かれて戦った、ということが涙ながらに語られるドラマが多いですが、私はそこには冷徹な、お家存続のためのリスクヘッジがあったと考えています。
確かに悲しい気持ちはあるでしょう。しかし、命を捨ててお家存続を図ることが至上命題だったのです。命を大事にする、という現代人の感覚とは一線を画します。
ということで、西軍には脚を突っ込まず、運命を切り開いた官兵衛と長政と対照的な姿。
しかし、長政の調略がうまく効きすぎたのか、関ヶ原の戦いが半日で勝負を決してしまいます。
もう少し篭城戦が各地で展開されていたら、秀忠の本隊も美濃に到着し、戦況は膠着していたかも知れません。ただ、石田三成も金を使い果たしており、これ以上の長期戦は無理だったから、決戦を急いだ、とも言われていますが。
もし、もう三ヶ月あったら、官兵衛は少なくとも九州は統一していたでしょうか。現実には、久留米の毛利秀包、柳川の立花宗茂、佐賀の鍋島が、西軍のままで、攻撃が難航したかも知れません。ただ、何とか調略も駆使して統一するのが精一杯。
そこから、加藤清正を九州の守備に残し、毛利領地に侵入しながら、播磨姫路に上陸して大坂城を包囲・・・毛利輝元と交戦して勝利・・・西軍は籠城、奉行の周旋で停戦・・・では、官兵衛の運命は?毛利を飲み込んでの第三勢力として。あるいは、秀頼を頂いて、家康と対峙する・・・
やはり、天下をとるのは難しそうですね。家康との国力の差は明らかですから、今回の戦で、相当な出費があって疲弊している間に、決戦を挑むしか。
ただ、諸将が官兵衛の下知に従えばの話しですが。そうでなければ、小牧長久手の再現があるだけ。
官兵衛のIF本も作ってみたいですね。
では、またお会いしましょう。ここまで、お読みいただき、誠にありがとうございました。
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