2013年11月25日月曜日

いよいよ満を持して、ブロクを開設いたしました!
歴史好きで、史料をたくさん読み始めた、ここ最近。なぜ、それを社会の皆さんに還元しないの?という声を頂き、開設と相成り候。

実は、今日は毛利元就の三矢の教えの日なんだそうです。

ちなみに、今日は何の日、フッフゥ~

1557年 毛利元就の「三本の矢」
1970年 三島由紀夫が割腹自殺
1985年 為替で初の1ドル=200円割れ
2009年 いわゆる「ドバイショック」が起こる
ここ最近、大河ドラマの「毛利元就」のDVDを見返していて、ちょうど三本の矢の場面を昨日みたので、びっくり!でした。

実はこの三本の矢の教えはですね~Jリーグのチームの名前の由来なんです。って皆さんご存知か・・・そうです、サンフレッチェ広島です。三本のフレッチェ(矢)でサンフレッチェです。

個人的には、毛利家の家紋である、一文字に三つ星も3という数字だから、偶然の一致か?と思って印象深いエピソードです。




(オリオン座の三連星から家紋を決めたという説を、大河ドラマではとっています)

そっちじゃないだろう、家族・兄弟仲良くって、心あったまるエピソードだろ・・・って言われるかも知れません。

このエピソードは、すでにこ存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、シナの故事にあるんです。
「西秦録」(十六国春秋)に登場する吐谷渾の阿豺(とよくこんあさい)の故事には、二十人余りの息子たちに対して団結することを説いたんです。

この阿豺(あさい、? - 426年)は、中国五胡十六国時代に青海地方に蟠踞した吐谷渾の族長で、
周辺のテイ (民族)・羌族を征服し、大いに版図を広げた。

阿豺は死の床にあって、後継者として従兄弟にあたる慕璝を指名した。死後、一族の間で争いが起こるのを恐れ、自らの二十人の子を呼び寄せると、一人一本ずつの矢を出させた。二十本の矢を受け取った阿豺は、そのうち一本を同じく従兄弟である慕利延に渡し、折ってみるよう命じた。矢はたやすく折れた。今度は残りの十九本を束ねて渡して折らせたが、矢は折れなかった。そこで「お前たち分かったか。一本では折れやすいが、集まればくじき難い。皆が心を一にして力を尽くしてこそ社稷を堅固にすることができる。」と諭したという。
次の慕璝の代に吐谷渾は宋だけでなく北魏とも朝貢関係を保ち、勢力はさらに拡大した。
また、イソップ寓話にも「3本の棒」という類似の話がある。
あらすじは、父親が3人の息子に一本ずつ棒を渡し、折るように言う。3人とも簡単に折ることが出来る。次に3本を束にして折るように言うが、誰も折れない。そして息子たちに言う。「3人が一緒になれば一人一人の時よりも強いのだ」という教訓です

三矢の教えについては、元就が吐谷渾の阿豺(とよくこんあさい)の故事を引用したとも、偶然同じ教えを残したとも言われています。

うんちくはこれくらいにして、今年の大河ドラマは昨年に引き続き、あまりヒットしませんでしたね・・・
篤姫が大ヒットだっただけに残念ですが、来年2014年度の大河ドラマは、黒田官兵衛にはぜひともヒットして欲しい!

ということで、これからしばらく黒田官兵衛のことを話して行こうと思います。

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